2013年06月02日

言葉にできない・・・

とにかく帰ってくださいと言われたので、私と母は姉の容態が安定したと解釈するしかなかった。
もう午前1時を回っていた、帰りの車の中で私はほんとに帰っていいのだろうかと、自問自答していた。
「敗血症」ってなんだろう?あまり聞いたことがない。
母は明日は私に会社へ行ってくれたらいい、帰りに病院へ寄るように言って別れた。
自宅に帰って、ネットで検索してみた、「敗血症」クリック。
内容を見て私は驚愕した。
「敗血症とは血液を介して全身に細菌がばらまかれる、ときにショック状態となり死に至る、敗血症ショックを起こした場合予後は極めて悪く、致死率は20〜90%、平均40%」

やっぱり姉は危ない・・・・

ここであの看護婦のことを思い起こしてみた、対応がはじめからとんちんかんだった。
患者の様子も省みず、規則どおりの対応しかしていなかった・・・・
ひょっとして、先生に聞くこともできず、自分で判断したんじゃないか・・・・
明日は会社へ行ってる場合じゃない、姉が危ない・・・・・
翌朝、母へ電話して、会社を休んで、姉のところへ行くと伝えた。
「あんた、そうしてくれたら助かるわ、知子も喜ぶ」9時に病院へ行った、姉の病室が変更になってた。
姉は思ったより元気そうだった。
「どう、具合は?よう寝れた?」
「うんよく寝たけど、少し頭が痛い」
「トイレにいきたいの」
「おしっこなら、管が入ってるから、そのまましたらええんやで、大きいほうか」
看護婦を呼んだ、今度はしっかりした看護婦だった。
「知子さん、歩くと疲れるから、トイレ持ってきますね」ポータブルトイレを持ってきた。
私と母は病室を出た、ナースステーションから、昨日の担当医がいる外来へ行くように言われた。

「先生、昨日はありがとうございました、その後どうでしょうか」母が切り出した。
すると、担当の女医から思いもしないことを言われた。
「昨日はどうして帰られたのですか、一時的に安定はしましたが、危険な状態にはかわりないのですよ」
私と母は唖然とした。
「看護婦さんに帰ってくださいと、言われたんですよ」
「そんなことは私は指示してません、何かの間違いでは・・・」
これ以上押し問答してしょうがない、大切なのはこれからどうするかだ。
「もうその件はいいです、姉はどうなんですか」私はさえぎった。
「やはり敗血症を起こしてまして、予後は悪いと思ってください、今点滴で一時的に血圧を上げてますが全身に細菌が回るので、予断は許さない状況です、今夜が山と考えてください、ご家族、ご親戚には今のうちに連絡を取ってください、できる限りの治療はさせていただきます」
「よろしくお願いします」覚悟はしていたが、母も私も全身の力が抜けていった・・・・
父、兄家族、私の家族、叔母に午後から来るように連絡をした。
母はいったん、実家へ帰ることになった。
病室へ帰った、姉は横になっていたが、起きていた。
姉と二人きりになった、何か話をしようと思った・・・
でも・・・・言葉が出てこなかった・・・・

私は落ちついてから話をした。
「調子はどうや」
「頭・・が・・痛い・・・・頭・・・が・・痛い・・・・・」
姉はこの言葉を何度も繰り返した。
「何か欲しいものはある?」
「喉が・・・か・わ・い・た・・・」
「何か買ってこようか?何がいい、ジュース系、炭酸系?」
「キ・・リ・ン・レ・モ・ンが飲・・みたい」姉の言葉がだんだんと途切れるようになってきた。
目もぼんやりしている、私の目と焦点が合わなくなってきた。
地下の売店へ走って、キリンレモンを買う。
「はい買ってきたよ、飲めるか?」
「・・・・・」もう起き上がれる体ではなかった・・・・・
私はスプーンにキリンレモンをすくって、姉の口元へはこんだ。
2度、3度・・・・・姉がもういいという仕草をした。
「お・・い・・し・・・い・・・」
姉は満足そうな顔をしていたが、少しずつ意識が薄れていく感じだった。
「これ指何本かわかるか?」
私はVサインをした。
「えー・・・・・・・2本かな・・・・・」
私はなんとか姉に刺激を与えようと考えていた。
「そうそう、足の裏マッサージしてあげるわ、この前ヨガで習ったやつ」
姉の右足を少し持ち上げて、不器用な手で足の裏を指で押していった。
「気持ちいいわ・・・・・・」
次に左足、姉の足はいつのまにか、細い細い足になっていた。
ごめんね、もっと早く気づいていれば・・・・
私は指先に力を込めた・・・
すると姉はしっかりとした口調で私にしゃべった。

「敦也・・・・今までいろいろとありがとう・・・・・」

「・・・・・・・・・」

私は言葉を返せなかった・・・・

この時、姉は自分の終止符を覚悟したのだと思った。

私はただ、うつむくしかなかった・・・・

私が聞いた姉の最期の言葉だった・・・・

続く

小田和正さんのこの名曲は今でも心に沁みわたります。

posted by こやまっち at 18:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

急変

10月に入っていた、余命3ヶ月の宣言から1年になろうとしていた。
右京の運動会を最後に姉は病院以外外出しなくなっていた、がん細胞は確実に大きくなり、姉のお腹を埋め尽くそうとしていた。
10月5日(水)自宅へ帰ると妻が「お姉さん、調子悪いみたい、明日でも帰りに実家へよってきて」
翌6日(木)夜10時に実家へ寄った。
「姉ちゃん、調子悪いって?」母に聞く。
「ちょっとふらふらして様子がおかしいのよ、頭も痛いって、あんたちょっと見てきて」
母と姉の部屋へ行く。
「知子、敦也が来てくれたよ」
姉が床から起き上がり、うつろな目で私と視線を合わせる。
私はこれはだめだ、素人目でも瞬時にわかった、姉の顔はどす黒く、まるで死人の顔つきそのものだった。「しんどいんか?どこが痛い?意識は大丈夫?」
姉はしゃべることができず、ただ下を向いてうなずくだけだった。
「病院や、病院に連れて行かないとえらいことになる、すぐに電話して」
母は躊躇している、父に相談に行った。
「敦也がすぐに病院に連れて行けって言うんやけど・・・」何かやり取りをしている。
姉はうつむいたまま、動かない。
母が帰ってきた。
「あんた、今日はもう遅いし、明日は担当の先生も休みやし、週明けの月曜でも連れて行くから・・・」
「何を言うてるんや!このままほっといたら、死んでしまうぞ!!」私は本人を目の前にして、叫んでいた。母はびっくりした表情で、病院へ電話をした。
夜の病院は引き継ぎ等うまくいってないので、病状やいつ手術したのか等聞いてくる。
やっと事情がわかってもらえたので、連れてきてくださいということになった。
ただし、産婦人科のベッドしか空きがないとのことだった。
そんなことはどうでもよかった。急がないと・・・・

「救急車を呼んだほうがいい」母は躊躇している、もう押し問答している時間がなかった・・・・・
私の車で行くことになった、私は急いで自宅へ車を取りに帰り、妻に事情をつげて、家を飛び出した。
姉はまだ歩くことができた、姉と母を乗せ、県立A病院へ急いだ。
病院までは15分、正面入り口は当然閉まっており、夜間入り口は裏手、50メートルは歩かないといけなかった。
私は駐車場に車を入れに行った、夜間入り口のかなり手前で、母と姉が肩を組んで立ち止まっていた。
姉がもう歩ける状態ではなかった。
「ちょっと待って、看護婦呼んでくる」私は走った。
病棟へ内線して事情を話して、看護婦二人が車イスを持って駆けつけた。
「もう大丈夫やで・・・・」
姉はこくりとうなずくだけだった。

処置が始まった、私とは母病棟の廊下で待つしかなかった。夜間の担当女医が出てきた。
「小山さん、説明しますので入ってください」
「いつからおかしくなったのですか、もっと早く連れてきていただかないと、血圧は今は安定してきましたが、運ばれたときは危険な状態でした。すでに敗血症ショックの状態です、血液を通して細菌が体中にばらまかれて多臓器不全をおこす可能性があります。できる限りの手は尽くします」
がんの影響で免疫力が弱まっているところへ、何らかの要因で血管に細菌が入ったのだった。
姉は産婦人科病棟の個室に入った、ここしか空いてなかった。
周りはすべて、生命の誕生を待つお母さんばかり。なぜ、こんなところへ・・・・・・

姉の病室へ行こうとしたら、若い看護婦に止められた。
「ここは産婦人科なので、規則でひとりづつしか入れません」
「ばかなことをいうな、病状がわからないのか」
無視して母と病室へ入った、姉は寝ていた、もう少し早く気づくべきだった。
このまま誰か付き添いしたかったので、看護婦へたずねた。
「ちょっと、お待ちください」頼りない看護婦だ。
「今日のところは、お帰りください、また明日いらしてください」
母と顔を見合わせたが、先生の指示だろうと思い
「よろしくお願いします」と言って家に帰ることにした。
しかし、これがとんでもない若い新米看護婦の勘違いだった・・・・・・

続く

※後日談
なんでこの時救急車で行かなかったのか、今でも自分のとった行動は間違っていたと後悔している。
歩けないことはわかっていたはずなのに・・・

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posted by こやまっち at 00:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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