2013年06月03日

命ある限り

午後から、母、兄夫婦、叔母がかけつけた。やっぱり父は来なかった・・・・・・
そのころ姉はもうほとんど話せない状態で、問いかけにうなずくのがやっとだった。
男性の医師が頻繁に姉の様子を診るようになってきた。
「お話したいことがあるので、詰所まできていただけますか」医師が言った。
私、母、兄の3人で詰所へ行った。
「ごらんのとおり、知子さんの様子が変わってきてるのは、家族の皆さんもお気づきですね、容態はきわめて悪い状況になってます、やはり、今夜が山だと思います、ただ、目を離した隙に逝ってしまわれるケースもありますので、注意して看護されてください。それと万一の場合の延命措置ですが、どうさせていただきましょうか」
「延命措置といいますと・・・・」
「まず気管切開です、これで本人の呼吸は楽になりますが・・・・・、あと心停止の際の心臓マッサージ、電気ショック、強心剤投与等です」
「それをすることによって、どのくらい延命できるのですか・・・」
「15分〜30分です・・・・」母と顔を見合わせた・・・・
もう語らずとも意見は一致していた。
「もう娘の苦しむ姿はみたくありません、今まで散々悩んで苦労してきた娘なんです・・・・・やすらかに眠らせてやってください・・・・・」母は涙を流しながら医師に告げた。
「お母さんのお気持ちよくわかりました、最期まで精一杯治療させていただきます」

夕方になり、私の妻と子供3人、兄夫婦の子供二人も駆けつけた。
「ともちゃん、がんばってね」
何もわからない三男右京が声をかける、もう姉はうなずくこともできない状態だった。
午後7時になって、姉の胃から溜まってる水?を抜くことになった、腸閉塞の状態だった。
チューブを通して、容器一杯にどす黒い液が出た。
姉は意識もうろうとしていたが、少しは楽になったように見えた。
午後8時、妻が子供を連れて帰ることになった、姉はすでに昏睡状態に入っていた。
「お義姉さん、がんばってね、お母さんも、右京もみんな応援してるからね・・・」妻が泣きながら声をかけた、みんなもらい泣きしていた。

8時30分、姉は肩で息をするようになった。
医師がかけつけて様子を診る、もう手の施しようのない状態だった。
この時私はきわめて冷静に状況を見守っていた。
私の心の中では、午前中に姉と話したときにすでに別れは終わっていた。
「敦也・・・いままでありがとう」私にはこれがすべてだった。

午後9時が過ぎ、姉の呼吸が今にも止まりそうになってきた。
「そばへ寄ってあげてください」看護婦が言った。
「知子、知子!!・・・・・・」皆が声をかける、母は手を握り締めてただ祈っている・・・・次の瞬間だった、姉は閉じていた瞳を大きく開けて、一瞬天井をみつめた・・・・・・
医師が聴診器、脈拍、瞳孔をしらべる。
「午後9時8分、ご臨終です・・・・・」
「あんた、こんなにはよう逝って、どうすんのよ、親より早く逝ってどうするの・・・・・・」
母が泣き崩れた・・・・・42歳あまりに短すぎる生涯だった。
姉は体を清め、最後の化粧をする準備に入った。
いったん皆、外へでた。

私と姉は二人きりになった、私は姉の額にキスをした・・・・

「よくがんばったねえ、ほんとによくがんばった・・・・・・」

今までこらえてきた涙があふれて、止まらなかった・・・・

続く

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posted by こやまっち at 22:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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