2013年06月15日

内科病棟376(狭心症入院記)カルテⅡ

「小山さん、そしたら奥さんが来られたらすぐに検査を始めますね、まず、血圧を下げる点滴を今から入れます、カテーテルは右足の付け根の動脈から入れるので、毛剃りをします。検査後は止血のため、動けなくなので尿管を入れますね」
「はあ・・・・・・・」(汗)
毛剃りも恥ずかしいが、尿管だけは堪忍して欲しかった。
去年の夏もこれを抜いた後、排尿の時痛くて辛かったのだ。
しかし、1年の間に2回も毛剃りとは・・・・やっと銭湯に行けるぐらいに、人並みに生えてきたのに!?
看護婦がカーテンを閉めて、ゴム手袋をして、剃刀を持って臨戦態勢に入っている。
「あーあ、なんでこうなるの?」
「さん、毛剃りしますねー、ちょっと失礼しますよー」
パンツを脱がされて、もう好きにしてくれーって感じ!?
「単身赴任だとこういうとき大変ね、奥さん心配してはるわ」
こっちは恥ずかしいが、看護婦も仕事とはいえ、大変なんだと思う。
シェービング液を泡立てて、ほんと散髪屋みたい。昨夏の足の手術の時は右半分だったけど、今度はえらい丁寧というか全部剃ってる・・・
「おしっこの管入れますね、ちょっと変なかんじになるけどねー」
前回は下半身麻酔の後だったから、何も感じなかったが、今回はしらふだ。
入った瞬間はなんともなかったが、さらに奥まで入れて、固定するので、いわゆるねじを締めるような感じで処置をする。
「うっ・・・・・ひっ・・・・・」言葉で表現できない痛みが背中まで走った。
さすがに腰を引いた。
「こやまっちさん、終わりましたよ」
「ふぅーーー」セクシーなT字帯をはめられた。
手術や検査はしょうがないにしても、こういう過程がわたしはいやなのである。
T医師が「採血しますね」と言って、左足の付け根に針を刺した。
なんで腕からしないのかと思ったが、これがまた痛かった。
検査前の処置がすべて完了して、私は病室へ行くことになった。
372号室の個室だった。
病室のベットに移るのに、私は動いてはいけないとのことで、看護婦が2人で私を移そうとするが、スーパーヘビー級の私の体が動くわけがない。
看護婦がナースコールで叫んだ。
「みんな来てくれるーーー」看護婦が4人やってきた。
これで6人、おいおい、俺は象じゃねえぞ!?
「いちにのさんで行くわよー」
「せいの、いち、に、のさん!」
ようやくベットに移動することができた!?ようやく、妻が来たのは15時30分だった。

妻が病室に到着すると、すぐにY医師が説明にやってきた。
「カテーテル(細い管)は右腕手首から入れます、心臓まで達したら、造影剤を投与して、心臓の血管の様子を診ます。そこで、状態によっては、つまり、詰まってたりすれば処置を施します。その場合、右足の付け根の大動脈からカテーテルを入れて、バルーン(風船)療法に切り替えます。まあ、大丈夫だとは思いますが。時間は1時間ぐらい、処置が入れば2時間と思ってください、ではすぐに準備にかかりますのでよろしく」
「はあ・・・・」妻も不安そうに聞いてたが、もうここはお任せするしかなかった。
承諾書に印を押して、私は1階の検査室へ搬送された。
妻は入れないので、外で待つことになった。
検査室は手術室に近い設備だった、ストレッチャーの上でスッポンポンになって仰向けに寝る。
私は目隠しをされた。右手首の消毒、足の付け根の消毒が行われ、カテーテルを挿入する右手首(自殺する時に切るところ)部分麻酔の注射が打たれた。
これは痛かった、感覚が無くなったところで、シースと呼ばれる手首に留置する管を穿刺する。
そしてシースにカテーテルを入れていく、これがなんともいやな痛みだった、右手首がつぱって、引っ張られている感じ。
カテーテルが冠動脈の入り口に達したところで、造影剤が入れられて、X線撮影。
「このあたり、気になりますねえ・・・・・」
Y医師とT医師が相談している、こっちは意識があるから、ずっと聞こえてる。
「小山さん、ニトロを入れるから、ちょっと熱い感じになるよ」
「はいニトロ投与します」
その瞬間、胸がカーッと熱くなり、血液が体をめぐることで、足先まで順番にカーッと来た。
「右足の付け根に麻酔しますね」これがまた痛い、皮の薄いところだし。
今度は心臓から送り出される血液の強さ、量を測る検査らしい。
「もう終わりますからね」とY医師。
「はい終わりましたよ」と看護婦、所要時間は1時間強だった。
右手首は止血のために強く圧迫する器具をつけられた。動脈を穿刺したので、血が止まらないからだった。
私は手首だったからこれですんだが、足から入れると12時間動けないらしい、たいへん辛いと聞きます。
病室へ戻って、またベッドに移動だ!
「みんなきてくれるーー」例によってまた、ナースが4人どかどかとやってきて、私の移動。
「せいのーよいしょー!」無事に検査は終わった・・・

続く
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2013年06月14日

内科病棟376(狭心症入院記)カルテⅠ

年が明けて平成14年2月14日(バレンタインデー)、単身赴任先の滋賀県近江八幡は寒い夜だった。
当時、「命ある限り」を執筆していて、風呂に入るのがもう日付が変わろうとしていた。
いつものように脱衣室で裸になって、浴室へ入った瞬間だった。
「うっ・・・・・・」喉の下からみぞおちにかけて、鈍い、圧迫されるような痛みを感じた。
「なんだろう?」経験したことのない痛みだった、痛みは10分ほど続いて収まった。
「食べすぎかなあ、きっと胸焼けだ、最近暴飲暴食だしな」この程度に感じていた。
明日は早朝から仕事だし、7時30分までには水口(滋賀県)へいかねばならなかった。
布団に入ると、すぐに眠りについた。明日の天気予報は雪、今年一番の寒さとのことだった。

2月15日(金)朝6時に起きた、寒い朝だった。
窓のカーテンを開けて外をのぞいて見た。銀世界だった、車は雪で覆い尽くされていた。
早めに支度して車の雪かきしないと、時間がないなあ・・・今日は金曜日だからゴミも出さないと、急いでゴミをかき集めてポリ袋に入れた。
そして、めんどくさかったのでパジャマのまま、ゴミを出しに玄関を開けようとした。
玄関のところに箒が置いてあったので、ついでに雪かきしようと思い、持って出た。
「おー寒む・・・、なんか羽織ってきたらよかったなあ」ゴミをごみステーションへだして、箒で車のフロントガラスを中心に雪をかいた。
足元に落ちる雪で、パジャマのすそが濡れてきた。
「冷たいなあー」5分ほどで終えて、小走りに家に入った。
その瞬間だった。「うっ・・・・・」昨日と全く同じ痛みが、胸の中心部を走った。
手で胸を押さえながら、しばらく動かず深呼吸した。
また、10分ほどで痛みは収まった。これは胃か、食道が悪いなあ、胸焼けもするしなあ、こんな認識をしていた。6時45分に車で家を出て、今日の目的地水口へ向かった。
同乗した部下にも「昨日から食道のあたりが痛いねん、俺とこは癌の家系だから、見てもらったほうがええかなあ」こんな会話をしていた。
朝一番の仕事を終えて、9時に事務所へ戻った。
まだ、胸に違和感があった、姉のこと以来、体の変化にはナーバスになっていたので迷ったが、病院へ行くことにした。
「ちょっと見てもらってくるわ」一旦車で家に帰り、歩いてO市民病院へ行った。
(歩いて1分)病院の外来は混雑していた。
初診の手続きを済ませて、内科受付へ、問診表を記入した。
「昨夜と早朝に胸に痛みを感じて、胸焼けもします」
それから「小山さん、内科3診よりお入りください」と呼ばれたのはもう10時30分のことだった。
やっと診察室の待合へ、中にはまだ5人待ってた。
20分待って、看護婦が「胸が痛むということなので、先にレントゲン、心電図を撮って来て下さい」
「どれだけ待たすのかなあ、それならもっと早く言ってくれたらいいのに」そう思った。
2階の検査棟へ行って、レントゲン、心電図と済ませて、結果をもらって、診察待合へ戻った。
それから、また10分待って、やっと診察室カーテン内の待合へ・・・どれだけ待合があるんだあ・・・いやになってきた。

「小山さんどうぞ」やっと診察へ、もう11時30分になっていた。初診担当は若い女医さんだった。
「どうされましたか」
「昨夜から胸のあたりに鈍痛がありまして、今朝もありました、時間は10分ぐらいですけど」
「どのあたりですか」
「特定の部分じゃなくて、食道のあたりが全体的になんとなく・・・食べすぎですかね」
女医が届いたレントゲン写真を診て、続いて心電図を診た。
その瞬間、女医の顔つきが明らかに変わった。
「小山さん、このような痛みは初めてですか」
「ええ・・・・・あの・・・心電図に異常があるんでしょうか」
「ええ、これは・・・・小山さん、すぐに点滴をしますから、処置室で寝てください、動かないでね」
そして、あわてて受話器をとって、内線をかけはじめた。私はなにが起こったのかわからず、キョトンとしていた。

処置室のベットに横になった、相変わらず女医師は電話をしている。
ただごとでないことが、様子からうかがえた。
すぐに点滴が投与された。何の点滴かわからず、正直不安だった。男のT医師がやってきた。
「今は胸の痛みはないですか」
「ええ、今はなんともないです」
「昨日からの様子を聞かせて下さい」もう一度、昨夜の胸の痛みからひととおり説明した。
「心臓エコー検査をしますので、救急室へ移動してもらいますね」
私は起きて、歩いて行こうとしたら、看護婦に制止された。
「小山さん、動いちゃだめよ、車椅子に乗ってもらいます」
そんなたいそうなと思ったが従うしかなかった。車椅子に乗った、看護婦が押そうとするがなかなか動かない。
「重いから、ごめんね」
「あっ、パンクしてる」なんとパンクしていた、時間もなかったので、そのまま、ギョリジョリと音をたてながら救急室へ運ばれた。
救急室は急患が運び込まれるところだった、要するに救急車で運ばれる処置室のこと。頼むから血まみれの患者が来ないでよ、そんなんみたくないーー、そう思った。
ストレチャーに乗り換えて、すぐに心臓エコー検査。T医師が今まで心電図の異常を指摘されたことがあるか聞いてきた。
そういえば、昨夏、下肢静脈瘤の手術の前にちょっと気になると言われたことが頭に浮かんだ。
「どこの病院ですか」
「尼崎の関西労災病院です」
「わかりました、さっそく心電図を取り寄せましょう」
循環器専門のY医師が加わった。やはりただごとでない・・・・またY医師に今日までの経過を説明した。
心臓エコー検査が終わり、Y医師から説明があった。

「小山さん、症状、心電図からみて不安定狭心症の疑いが強いです、狭心症というのは心臓冠状動脈の一部が動脈硬化をおこして、血液が行き渡らず、結果として発作をひきおこすものです。これが進行すると閉塞をおこして心筋梗塞という命にかかわる状態になることもあります。まずは、冠動脈がどういう状態になっているのか、これを調べる必要があります。そのために、心臓カテーテル検査と言って、動脈からカテーテルを心臓まで通して、造影剤を入れて、撮影し、治療方針を決める。この検査をおすすめします。」
「検査に危険はないのですか」
「レントゲンとかの検査と違って、100%安全ではありません、心臓まで細い管を入れるし、管が血管を傷つけたりとかする可能性はあります。事故例は0.3%と言われてますが、これは昔の話で今はほとんど問題ないです。ただ、検査を受けないと場所が場所ですから、命にかかわります」
「わかりました、やってください」
私は事の進展の早さに驚いていたが、もうあきらめの胸中だった。
「これは危険を伴う検査ですから、ご家族の承諾がいります、奥さん、来れますかね」
「私は単身赴任なんです、妻は今の時間働いてますし、3時間はかかると思います」
「単身赴任ですか、それはたいへんですねえ、でもすぐに呼んでいただけますか」
「ここで携帯電話使っていいですか」
「・・・・・・・まあ、いいでしょう」
妻の会社へ電話して、呼び出してもらって経過を話した。
妻は驚いた様子だったが、じゃあ、夜に行くからと言ったので、
「一刻を争うらしいから、すぐに来て」
「えーーー!!」妻が驚いたのは言うまでもなかった。

続く
posted by こやまっち at 23:31| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

エピローグ

姉のことについて、今になっていろいろと思うことがある。
姉が高校で悩み始めて不登校になった時、私は隣の部屋にいながら何もしてやれなかった。
まだ私は中学生で若すぎたのかもしれない。部屋で泣いている姉を見て、うるさいなあとしか考えられなかった・・・・
兄や私が結婚していって、ひとり幸せになれないと嘆いては泣いていた、時に錯乱していた・・・
私の妻、兄の妻に対してはやはり一線を引いた態度だった。
でも、私の子供はとても可愛がってくれた。
どれだけのセーター、ベストを編んでもらったことだろう。
感謝しても、しきれない・・・
そして、がんにとりつかれてしまった。

がんは遺伝、食生活、喫煙等が原因となる場合が多いが、精神的に悩みとおして、情緒不安定が続いてもかかってしまうことがあると言う。
姉はその典型だったのかもしれない。
3年前もっと早く気づいて、病院へ行っていれば助かっていたのかもしれない。
そして、治療方針を決めたのは私だと言っても過言でない・・・
果たして、これでよかったのだろうか?
医師に命の宣告をされた時、簡単にあきらめすぎたのでなかったか・・・
抗がん剤が効いたかもしれない・・・
姉を救うために、もっと最新の医療を求めて、なぜ動かなかったのか・・・
スポーツクラブへ入会させて、命を縮めたのでなかったか・・・
病院に運んだとき、なぜ、入り口まで歩かせたのか・・・・
なぜ、救急車を呼ばなかったのか・・・
なぜ、延命治療を拒否したのか・・・
ひとりの人間の命がかかっているのに、これで最善を尽くしたと言えるのだろうか・・・
最後がくることはわかっていたので、その時には大好きだった歌手の西城秀樹に合わせてあげることができたらとも考えていた、でもあまりに急変から早すぎた・・・
ただひとつ、うれしかったのは、姉がスポーツクラブへ行くときの笑顔。
つくり笑いはできても、本当に心から笑っている姉は見たことがなかった。
ほんとうにうれしそうだった・・・
4月から亡くなる2週間前まで姉がスポーツクラブへ通った回数は80日にも及ぶ、2日に1回のペースだった。もっと元気なときに私が声をかけてあげるべきだった。

先日のNHKプロジェクトX「決断 命の一滴」~白血病・日本初の骨髄バンク~ の中で、15歳の少女が白血病で亡くなった物語があった。
その少女の残した作文の一節

「将来について」

ふつうの高校生になって
ふつうのお嫁さんになって
ふつうのお母さんになって
ふつうのおばあさんになって
ふつうに死にたい・・・

姉もこれがかなわなかった。
ふつうに生きることがどれだけ幸せなことか、私は健康に感謝せねばならないと思う。
喜怒哀楽を繰り返しながらも、毎日この一瞬を大切に、輝いて生きること、これが大切なことだと思う。
奇しくも執筆中(平成14年2月)に心臓病に倒れ、その思いをまた新たにした思いです。
姉は友だちが少なかったのですが、こうして皆さんに読んでいただいたことで、皆さんの心の中に姉のことを覚えていただければ、天国の姉は満点の笑顔で喜んでくれていることでしょう。
また、明日から笑顔でがんばって生きようと思う!
長い間、私のつたない文章におつきあいいただきほんとうにありがとうございました。
執筆中に緊急入院というハプニングもありましたが、皆さんに励まされて最終回を無事書き終えることができました。ほんとうにありがとうございました。

平成14年3月近江八幡にて



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posted by こやまっち at 22:43| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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